海の中でも君を思う・13
「はぁ、つまんねーな」
エドワードは頬をふくらませながら机にうつむく。
薄暗い部屋で書類に囲まれた彼。
それに苦笑しながらひたすらに書類に目を通している人。
彼の周りにも紙が散乱している。
二人の作業の早さには明らかな違いがあった。
「自業自得ですよ」
言いながらも手をさっさと動かすリュオンは相変わらず煙草をふかしている。
「もう、良いだろ?元に戻っても」
元、とはアルフォンスの護衛のこと。
全く身体を動かさないこの仕事はどうしてもエドワードの性に合わない。
そして、
全く外へも出られなくて、会いにも行けない。
そう、約束した彼女に。
「ボスが良いって言ったら、良いんじゃないんですか?」
そう言われた途端エドワードは固まり、がっくりと首を垂れる。
「……無理だな…じゃあせめて、外出たい」
エドワードは机にベローンと上半身を預けて続ける。
「こんな缶詰みたいだとオレ腐るぞ?もう3週間だ」
もうこうなってしまったらエドワードはてこでも動かない。
リュオンが溜息をつく。
「…それは言えるかもしれませんね」
「だろ?」
納得の言葉にエドワードはぱぁっ笑顔になる。
そしてリュオンは笑う。
「ですが、たまには腐るぐらい仕事したらいいんですよ、あなたも」
「も?」
がっくりしながら聞き返す。
更にリュオンは笑顔でつづける。
「ホーエンハイム様もそうでしょ?」
エドワードは明らかに不機嫌な顔になり、リュオンを睨みつける。
「あんなおやじと一緒にすんな」
彼の怒りにリュオンはどこ吹く風。
全く笑顔を崩すことなく言い続ける。
「では、仕事ができると証明してください」
「……」
全然駄目だと思っている父と一緒にされたら、悔しいどころの気持ちじゃ収まらない。
そして、挑発をうまく受け流すこともエドワードにはできなかった。
項垂れた様子は子どもみたいで。
「そんなに落ち込まないでください」
「……」
そりゃ無理だとでも言いたいのかエドワードは頭を上げない。
リュオンは自分で私もまだまだ甘いな、なんて思いつつ言う。
「外に出て、何をしたいのですか?」
「へ?」
ビックリしながらエドワードは顔を上げる。
「外に出て、エドワード様は何をしたいのですか?」
エドワードは真面目に聞かれて、なんとなく隠す理由も感じずにはっきりと言った。
「人に、会いに…」
「お友達にお会いするのですか?」
リュオンは嬉しそうな顔をするが、それは誰も気がつかないほど一瞬。
「……ああ、」
エドワードは真剣な顔をした。
リュオンは更にため息をつき、そして言う。
「では、この書類の山の整理が終わったらいいでしょう」
「まじか!」
「た・だ・し、おわってから、です」
「おう!」
3週間で干物のようになっていた彼のキラキラした眼をみてリュオンはほほえましく思う。
彼にやっと生まれたバイタリティー。
「じゃあ、頑張ってくださいね」
「ああ!」
嬉々とした表情のエドワードの手は、さきほどの何倍もの速度で滑っていった。
「これで終わりですか?」
ウィンリィはこの所ずっと研究室に篭っている。
今日は実験があり、マスタングの研究室の横の設備のそろった部屋で作業をしていた。
顕微鏡をにらめっこ、というのはなかなか肩が凝り、明日の授業のことを考えてもそう長時間は続けられない。
今日の作業が一応きりがついたところまでいき、良い頃合だったのだ。
「ああ、今日のところは」
笑顔でマスタングが答える。
そう言われて、ウィンリィは白衣のボタンに手をかけながら自分の荷物を取りに行く。
「じゃあ、失礼しますね」
彼女とホークアイが使う広いロッカーのハンガーに、脱いだ白衣をかける。
「送っていこうか?」
思いついたようにマスタングが声をかけた。
一緒にいたホークアイ達も白衣を脱ぎ、一息つくためのコーヒーメーカーのあるマスタングの部屋へ行く。
その間にウィンリィは即答する。
「いえ、」
丁寧にお辞儀をして出ていこうとするが、さらに引き止められる。
「じゃあ、車で送っていくっすよ?」
ハボックが車のキーをふらふらと指で回しながら、にこやかに言った。
マスタングは名案だ!というように、親指と人差し指と中指を勢い良くこすり合わせてパチンと音を鳴らした。
「そうだな、じゃあロックベル君、ハボックの車で帰りたまえ」
「え」
ウィンリィの反論の余地を与えないまま、マスタングとハボックで話が進んでいく。
「じゃあ、ハボック」
「ラジャ」
ハボックは慣れたように奇麗な敬礼をする。
「え、良いですよ!!」
ウィンリィは焦ったように言い返すが、ハボックは笑顔でいいからいいからと一緒に行くことを促す。
「ええっ?!」
「こんな夜道を一人で帰るのは危険よ」
ホークアイも優しく言う。
ハボックに「ね」と付け足されてウィンリィはじゃあ…と承諾することしかできなかった。
「じゃ、ウィンリィちゃんをしっかり送っていきますねー」
一緒に出口へと向かおうとする。
「おい!」
なぜか送れと言ったマスタングが引きとめてきた。
「へ?」
その場にいた全員が不思議そうな顔をする。
「ロックベル君に変なことするんじゃないぞ」
少し間があって、全員が口をそろえる。
「ドクターじゃないんだから」
ハボックはマスタングの言葉など全く聞きもせず、さっさとウィンリィを連れて行っていた。
「んじゃ、いこうか?ウィンリィちゃん」
「え?あ、はい」
「家こっちの方でいい?」
ハボックは確かめながら夜道を運転する。
「はいっ」
そして少し緊張したウィンリィが方向を支持していく、その繰り返しだった。
「最近ここら辺も物騒だからねー、毎日送って帰ろうか?」
ウィンカーを出しチカチカと夜道を照らす。
公園を右に曲がって住宅街へ。
「いや、それは流石に…」
ウィンリィは手を膝に乗せ、下を向き、えらく固まっていた。
「そんな遠慮しなくても。ドクターも心配してたっすよ?」
ハボックは紳士的な笑顔を絶やさない。
ウィンリィが緊張していたのは、今まで一緒に研究していたと言っても、あまり二人で話したことはなかったからだった。
だがよく話してみると、ハボックは先生と言うよりもなんだか近所のお兄さんのようで。
家の手前につく頃にはウィンリィもいつものように笑うことができていた。
「マスタング先生にも気にさせちゃって…申し訳なかったなー」
ウィンリィは小さく本音を漏らす。
「良いんだよ、男は女の人を心配してなんぼのもんだから」
さらりとハボックは言って、ウィンクする。
ウィンリィはちょっとの間ぽかんとして、それから笑い出した。
「ぷっ…そんなもんなんですか?」
「そ、そんなもん」
軽やかに車は走っていく。
車は一つの白いアパートの前の街灯の下に止まる。
エンジン音もなくなり、虫の鳴き声が聞こえてくる。
「ここでいいの?」
二人は車から降り、ウィンリィが勢いよく頭を下げた。
「はいっありがとうございました!!」
「じゃあ、夜はしっかり戸締りして寝るんだよ」
本当に心配そうに言う姿は、
「…ふふ、ハボック先生お父さんみたい」
「え?そ、そうか?」
そう言われるとは思っておらず少し動揺したようで。
「まあ…これから、帰るの遅くなったら送るから、言ってくれな」
少しばつが悪そうに言うのをみてウィンリィは笑う。
「はい、ありがとうございますっ」
ハボックが車に乗ることを待っているウィンリィに、変わらない笑顔で言う。
「家に帰るまでちゃんと見とかないと心配だから、家に入って」
「え、そうですか?」
「ああ」
ウィンリィは、少し先に帰ってしまうのは…と思ってたがそう言われては仕方がない。
丁寧に挨拶をする。
「はい、じゃあ本当にありがとうございました!お休みなさい」
深々とお辞儀をして、彼女は部屋へと帰っていく。
そしてハボックは笑顔で手を振り最後まで見送る。
バタン
とウィンリィの部屋の扉が閉まったとたん、ハボックは笑みを消す。
「………」
車に帰る気配もない。
「全く、ドクターも面倒くさいこと頼んでくれるよ」
胸に入れておいた煙草を出し、少しの間吸っていなかった身体に、こんこんと煙を入れていく。