海の中でも君を思う・6
「オレ,どうかしてるな…」
エドワードは髪をむしりながら,例のビルへと帰っていた。
その彼に現在,朝の爽やかさというものはない。
皺が入ったスーツに,薄い無精ひげ。
帰ってきたところは,痛く直線的で窓の反射で冷たく光るその建物は,現実的。
ふわりとした彼女の空気が残った自分を,取りあえずもとに戻す事ができそうだった。
それにしても,今まで弟の安否だけを何よりも思っていたはずなのに。
何で,それをそっちのけにしてまで,彼女に固執している自分がいるのか。
それが分からなくて,治りかかった怪我みたいに歯痒い。
出会ったばかりであるはずなのに,もう自分の中は彼女で埋め尽くされている。
彼女と結局昨日至った行為は,必然のように自分の欲にインプットされていた。
それがどうしてなのか,それも自分で理解することができない。
果てもなく,朝から彼は悩んでいた。
「おはよう,兄さん」
ビルの入口で呼び止められる。
「アル?」
アルフォンスがエントランスから笑顔で出てきた。
「今日僕,殺される予定が3件入ってるらしいよ?」
満面の笑みのまま言い続ける。
「だから今日は兄さんよろしく」
「ああ。」
エドワードもたいして気にする風でなく,歩き続けた。
「そういえば…」
アルフォンスはエドワードに歩みを合わせながら言う。
「昨日,どこにいたの?」
「……いや、」
先ほどの殺人予告の話より余程動揺してエドワードは答えた。
二人とも、歩みは止めない。
頭のよい弟はそれ以上何も聞くことはなかった。
「今日は一緒に行動してね,兄さん」
と,念を押しただけだった。
「今日はちょっとごたごたしそうなんだ」
朝の事務を終えたアルフォンスとエドワードは会議へと車で移動する。
「…今日は対立してる所との対談だったか?」
疑問形でエドワードは答えた。
「エドワード様。しっかりしてくださいよ、今日は本当に。
ここ3日間ぐらいはたまの休みもよいだろうと放っておきましたが。
あなたはこのファミリーのボスの護衛なんですよ?」
彼をはっきりと戒められる唯一のリュオンは、車の運転をしながら怒る。
「…すまん…」
エドワードは何となくの引け目を感じて素直に謝る。
するとアルフォンスとリュオンは無言になった。
妙な間が生まれる。
アルフォンスの方を見れば、あんぐりした口をしていた。
「兄さんが、すなおに謝った…」
「雪とマシンガンが降ってきそうですね」
酷い言われよう。
「ちょ、なんだよ!オレが謝るのがそんなに珍しいのか?!」
エドワードは顔を赤くする。
「兄さん最近何かあったんだよね?」
アルフォンスは嬉しそうに言った。
なんもねぇよとつぶやいた言葉は、誰にも聞かれることなく車のブレーキに掻き消された。
「つきましたよ。お二人とも気引き締めて。」
車を降りた3人の黒いシャツを着込んだ男たちは、ネクタイをもう一度強く締めなおす。
「相変わらずでかいな」
「まぁ、天下のブラッドレイだからね」
豪邸…否、城と呼ぶにふさわしい本日の訪問地。
この国でも随一の大きさを誇るキング・ブラッドレイが仕切るファミリーの本拠地だった。
「公衆面前で呼び捨てはどうかと思われます、アルフォンス様」
「別にいいけどね、聞かれたって」
いつもになくアルフォンスは好戦的だった。
「…?どうしたんだ、お前?らしくねーな、いつもならお前がオレに言うことだろ?」
「色々あるんだよ。兄さんも、今日は僕の護衛ってことしっかり忘れないでね」
「?」
「ぼろを出すなってこと」
「あ?あぁ…」
温厚なアルフォンスが何故か今日は違っていた。
「…何かあるのか?」
エドワードはリュオンに小声で聞いてみる。
「あるのかもしれませんね」
リュオンは相変わらず煙草をふかして当たり障りのない返事をした。
エドワードは本当の事を知らないのは自分だけな気がした。
事実彼は知らなかった。なにも。
門にたどり着けば、黒いサングラスに黒いスーツに黒いタイの男が10人ほどで出迎えに来る。
「ようこそ」
手で促されてともに進み始める。
3人は前に2人、左右に3人ずつ、後ろに2人の男に囲まれながらそれでも広い廊下を進んでいった。
これは明らかに警戒心からきている。
今日の会議の内容を知らないエドワードは大層なことだなどと、のんきなことを考えていた。
「やあ、わざわざ来ていただいて悪いね、エルリック兄弟」
「いいえ、若い私達が出向くのが当然ですよ、ブラッドレイさん」
出てきたブラッドレイと言う男は片目で、いかにも人の上に立つと言うような強さがある。
ただ、その強さは人々を恐怖に落とすようなもので、親しみの持てるものではない。
有無を言わすことのない絶対的なものを持っていた。
相変わらずアルフォンスは、その男に敵意むき出しだった。
言葉にとげを加えていく。
その様子はいつもそうであるエドワードが戸惑うほどだった。
自分の立場を悪くしようとするような弟の態度が理解できない。
ブラッドレイに逆らえば、自分達が潰されるという事も考えられるというのに、だ。
それを考え込むあまりに、エドワードは続きを全く聞いていなかった。
「………、そう拒むなアルフォンス君,これは悪い話じゃないだろう?」
「悪い話だと思ってなかったら、こんなに敵意を出しませんよ、僕は」
アルフォンスはいつもの冷静さがなくなっていた。
いつも隠し通す怒りも、駄々漏れにしている。
「ボス?どうしたんですか…冷静になってください」
エドワードはこの状況が飲み込めないまま言われたとおり、弟をきちんとボスとして扱う。
そして,状況を知ろうとした。
「黙って」
それは当り前のように拒まれる。
「エドワード君がそう言うんだ、良いんじゃないのか?」
笑いながらブラッドレイは言った。
余裕がないのはアルフォンスだけだった。
「知らないから言ってるんです」
その言葉に片目の男がさらに笑う。
「はっはっは、そうか、エドワード君は知らんのか」
ありえないような大声で笑う姿はなぜか威圧感がある。
エドワードはさらに驚いた。
…何の事だ?オレが知らないこと?
「彼が一番知らなくてはいけないのではないのか?」
言われてアルフォンスはそこではじめて黙った。
「何の事だ?!!」
エドワードはブラッドレイに叫びかかる。
窓のガラスも震える大声でも、ブラッドレイは気にもせずコーヒーを飲み続ける。
そして笑う。
「ホーエンハイムの息子たちと聞いて警戒していたが、とんだバカ息子たちだな」
アルフォンスとエドワードは同時に言葉を放った男を睨む。
「そこがバカなのだよ?エドワード君アルフォンス君」
「兄は何も知らない犬、弟は周りの犠牲を考えない狐」
緊張の無言が走る。
「はっはっは、そう構えずともよい」
豪快な笑いは何故か強すぎる。
「ただ、君たちはこれからその若さを後悔するようになる、帰りたまえ」
そう言われてただ帰るしかできない兄弟は自分たちの無力さを改めて感じた。
戻 次