(以下に医療の話が出てきますが、実際の医学ではありえないそうですのでご了承ください。)




海の中でも君を想う・17







「お前さ、医学系の大学通ってんだよな?」

エドワードは久しぶりの美しい白い部屋へ、残念ながら重い気持ちを背負って入ることとなった。
真っ白の綺麗な壁もなんだかどんよりと見えてくるのだ。
不安そうな顔はウィンリィだけでなく、エドワードだって同じようなものである。
彼としては気丈にいたかったのだが、さっぱりうまくいかない。向かい合って座る二人の表情はそっくりだった。

「うん」

「ゼミがロイ・マスタングの所なんだな?」
ハボックが言っていたのは、こういうことなのだろう。

「うん」

あっさりと返事は返ってきたものの、ウィンリィの不安そうな顔はさっぱりぬぐえない。
それでもエドワードは、不安を煽ることしか言えなかった。

「あいつの研究って、不死の研究だろ?」

その言葉が出てきた瞬間、ウィンリィの顔色はみるみると蒼くなる。

「え・・・」

マスタングの研究は、表向き細胞の研究である。
特に死なない細胞について研究をしているためあながち間違いではないのだが、研究を端的に表わすのなら不死についての研究だった。
それを知っているのはごく限られた人であるはずだったのに、大学とは全く関係ないはずのエドワードがさらりと言ってのけたのである。

「オレの親父がさ、あいつと気が合って出資してるんだ」
エドワードは肩をすくめて、それからウィンリィはよく分からなくて、二人とも首をかしげるような形になる。

「…エドのお父さん…?」

そこでウィンリィは、珍しくエドワードから彼自身について聞いたことに気がつく。
それはうれしいはずだけれども、こんな時に出てくるとなると不安にしかならなかったのだ。

「ああ、」
エドワードはふと笑う。
父親が、当時若かった漆黒の髪の男の研究を見て「面白そうじゃないか」と一言。
その言葉と同時に自分も白衣を着て一緒に研究しだすという破天荒さを思い出して思わず、だった。


「お前のゼミ・・・っていうかロイ・マスタングの研究が、」

重い空気はさっぱり変わらず、エドワードの気まずい気持ちは増えていくばかりだった。
彼はウィンリィに自分のことを言う日が来るとは思ってもなかったし、彼女をこんな危険なことに巻き込んでしまうことも想像すらしてなかった。
自分の汚い所に触れさせるつもりは米粒ほどもなかったけれど、世の中そううまくは行かないみたいで。

「オレたちの世界では有名で…」

歯切れは悪い。「オレ」とわざわざ言っておいて後悔した気持ちに駆られたのだ。
それでも続けなければならない。ぐっと苦味のような胸の痛みをこらえる。

「あいつらの話に乗ったのは親父だ…けど、最近この研究に興味持ってるのが、ここら辺で一番大きい組織のブラッドレイってやつの所なんだ」

「・・・どういうこと?」

エドワードの希望からすれば、ウィンリィの倒れそうな蒼白な顔をいつもの溌剌としたものに変えてしまいたい。
けれどもその方法が見つからない。
形のいい眉も苦しげに顰められてしまっている。

「不死になれば、組同士の殺し合いだって一方的な殺しになる…から…」

彼はあえて嫌な言い方をした。
それは自分のいる世界への嫌悪とか、うまくは言えない感情とか、混ざったものから。

「………」

言葉がつなげられない彼女の顔には深く困惑も刻まれてく。
エドワードは言い方が悪かったと反省した。

「…いや、マスタングたちはそういう奴らを強く拒絶している」

エドワードは、彼女が信じている人が日陰の世界の人間では決してないということを伝えたかった。
今の研究も、研究所の中ではただひたすらに人の回復能力を上げるために考えられている。
それがいつの間にか不死の研究と言われ始めたのは闇の世界の中で、だった。
マスタングを始めとする研究者たちはいけすかない時もあるが、信じて間違いない。
その説明が全くうまくいかないけれど。
それでもまず彼女に信じてほしい。

「だから…お前は、あいつらを信じていいと思う……」

「う…ん……」

ウィンリィは分かったと言いたかったが、いまいち飲み込めなかった。
マスタング先生たちが暗い世界の中に巻き込まれているとか、エドのお父さんが先生と一緒に研究していることとか。
そう言えば、漆黒の男自身が研究を不死のために行っているとは一言たりとも言ったことはなかった。
彼女が不死の研究と知ったのは、一般には非公開にされている他の人物の論文からだった。

もともとウィンリィがマスタングのゼミに入ろうと思ったきっかけも、不死の研究とは関係ない。
マスタングが最先端の研究者だったため多くの実験道具を持っており、その部分に興味があったからだった。
ただそれだけだった。

「親父と仲良いこともさ、そのブラッドレイの一味は面白く思ってない」

ああ、やっぱり彼女を闇に引きずりこもうとしているのは自分なのか、とエドワードはしゃべりながら気持ち悪くなってくる。

「オレらの所に情報流れてるのが気に入らないらしくて…それで多分……お前が狙われている」

突然自分の話に戻ってきたことに、ウィンリィは少し驚く。

「私?」

「たぶん、ブラッドレイはお前から知っているだけの情報を聞き出すつもりだ」

「・・・・・・…そーなの…」

茫然とする彼女を、エドワードはどうすることもできない。
言わなくてはならない。

「だけどな、マスタングのやつは本当に、お前をこんなめに合わせるつもりはなかったんだと思う」

「分かってる。ゼミ入るときにもすごく断られたもの」

あの漆黒の髪の男ならそうだろうなと思う。

「何度もお願いして学長にまで話が行って、しぶしぶゼミ生にしてもらったぐらいだったから」

ウィンリィの中で色々なことが繋がり始める。
先生たちが異常に自分の心配をしていたこと。
ゼミに入ってから怪しい男たちに付きまとわれることが多くなったこと。

「お前がゼミ入った時は…1年ぐらい前か?…そのころはそんなに激しく抗争してた訳でもなかったからな」

「・・・・・・・」

怪しい男から守ってくれる、鈍い金の髪を持つ彼氏が突然現れたこと。
その人と別れて、その兄と偶然のように重なって出会うこと。
二人の父がゼミの先生と知り合いであること。

「最近になって組同士の抗争とかが多くなったんだ、だから知識とか力を求める」

「うん、ハボック先生とかが毎日送ってくれて」

けれども頭が整理できない。

「多分お前の家見張ってたんだろうな」

「……すごく、迷惑かけてたんだ………」

「いや、お前は何も悪くない。あいつもみんなも分かっててお前をゼミ生にしたんだよ」

「・・・うん」

「明日、色々分かると思う」









ウィンリィのふさぎこんだ顔は一向に変わらない。
話の間ができた途端、エドワードは自分の心も落ち着けたくて、突然正面に座るウィンリィの頬を両手でぐっと挟みこんだ。


「お前、顔青い」
彼女に少しでも元気を出してほしくて。

「にゃにすんにょよ」

蛸のような突き出た唇は愛らしく、まるで自分に口づけをねだられているよう。
自分でしているのを棚に上げながらそのまま唇を寄せていく。ただ場を紛らわせたかっただけかもしれない。
彼女との間にある机は意外に広くて、身を乗り出すのがすこし苦しかった。
けれど、なんだかそれもさっきから痛む胸を抑えるのにちょうどいい。

ぱくっと食べるように彼女の赤い唇を包んで、すぐに離れる。

「もう、な…」
言葉も聞かないでもう一度。

今度は時間をかけて。
角度を変えるたびに柔らかさは増して、甘くなっていくように感じる。

真っ赤な顔をして、やっと彼女らしい血色のよい表情となったのだ。

「な…何よ…急に……」

不貞腐れたように顔をほてらせた彼女の表情に少しだけうれしくなる。

「いや、なんとなく。………今日はさ、オレがついてるから…」

隔ててある机を回って彼女の眼の前に立つ。
そして少しでも安心してもらえるようにぎゅっと抱きしめてしまう。

「もう、寝ろ。これ以上は何もしないから」

しごく冷静に見えるようにエドワードは言った。
ウィンリィは少し間をおいた。

「……しない?」

エドワードは冷静に見える顔を一瞬で崩した。

「…え、ウィンリィ……」

なんというか、彼には誘われている…としか考えられなくて。
彼女からそんなことを言われることに慣れていなくて。
おろおろとするエドワードにウィンリィはすこし嬉しくなったようだった。

「一緒に、寝よ」
はっきりとした彼女の言葉の意味は、エドワードの邪な思いとそこまでの相違はなかったようだった。
しかし、その言葉は少し震えていて、彼女が無理をしていることに気がつく。

「……ウィンリィ…」

苦しそうな顔をしながらこんなことを言われているのか。
エドワードには分かるようでうまく分からない。
ウィンリィの言ったことは、自分が疼くほどに忘れられない快感を生むものであるはずだったのに、考えただけで喉に刺さった骨みたいに痛い。
彼女の表情は硬くて、今おきていること全部に投げやりになっているのではないか、そんな気がしてならない。
嫌でたまらず、彼女のまだ少し湿った髪に触れる。
それに気がついたウィンリィは少し頭を挙げたが、気にせずぐわしゃっと髪をめちゃくちゃにするぐらい強く頭をなでた。

「ちょ、エ、エド!!」


「そんな嫌そーな顔で誘われてもな」
ニッと自分らしく笑えたらいいと思いながら必死に笑ったのは、少し効果があったようで。

ウィンリィはポカンとしたが、すぐに困ったように笑う。

「…そうだね、ごめん」

エドを利用するみたいなことを言っちゃってごめんと続けられた。

彼女の硬い表情は少し緩んだが、だんだん眉や目じりが下がってくる。
それを見てエドワードまで少し眉が歪んだが、目をつぶって首を振る。
そして細い体を抱きしめた。

「オレ、今日はちゃんとお前の隣にいるから」


エドワードは彼女に何をしてあげられるのかがわからなくて、自分の声が少しだけ震える。
ウィンリィは彼を抱き返して頭を彼の胸に預ける。

「うん、約束ね」

ウィンリィはエドワードに気付かれないように、服の上から彼の胸のあたりにキスをする。
一瞬だけなのに暖かくて、幸せな何かがわきあがってくる。

「・・・エド、」

声色が明るくなったウィンリィにエドワードはほっとした。

「ん?」

「気を紛らわせる…のはあるけど…でも、ね。一緒にいるってちゃんと思わせて」

彼女は自分の額と彼の額とをこつんと当てる。
そしてウィンリィはまわされた腕にそっと掴まる。


エドワードはキョトンとして、だんだん照れた顔が赤くなっていく。
そして彼はそれを隠そうと手を顔に押し付けた。

「いや?」

満足そうなウィンリィに負けたと感じたことが悔しかったのか、エドワードは深呼吸をして彼女を睨んだ。

「・・・・そんな訳ねー…」

言い終わる前に彼女の口をふさぐ。
ウィンリィが驚いて閉じた目を開けた時には、すっかりエドワードの照れた可愛い顔はどこかへ消えてしまっていた。
溶けるほどに口の中を探られて、ウィンリィが呼吸をうまくできなくて顔を真っ赤にしたころにやっと彼は放す。

「も、ちょ、急!!」

「そんなに心配しなくてもオレ、いるよ」
とエドワードは彼女を撫でながら茶化したのに、ウィンリィは笑わない。

「だって、エドは私が寝ればいつもいなくなるんだから」

エドワードもすっと笑みを消す。

「……今日はウィンリィが寝ても、それから起きてもちゃんといるから」

「うん、約束」

「………で、いいのか?」

「だから、何度も言ってるでしょっ恥ずかしくなってく…!」

返事は十分だった。
彼女を覆うように二人で床に倒れて彼女の息を奪う。
彼女の傷ついた心を抉ってしまうのではないかという不安は取れなかったけれど、そこまで言われて我慢もできなくて。



暗がりに彼女を見た時には顔は紅潮していた。
じっと見ていることに気がつかれて、彼女は笑った。




「偶然じゃなかったけど、運命でもなかったけど、一緒にいてね。おやすみ、エド」